さようなら!沖縄三越!!

沖縄を代表する観光スポット国際通りに面している『沖縄三越』が、2014年9月で閉店することになったニュースを見たときには、「えーーっ!物産展を楽しみにしていたのに。」と閉店を惜しむ声がかなりあがりました。国際通りのシンボリックとしても『沖縄三越』は存在していて、国際通りの繁栄とともに『沖縄三越』も歩みを進めてきた歴史があるだけに大変残念であります。

おもろちの新都心が再開発で大型ショッピングセンターも出来たり、DFSギャレリアもオープンして那覇市民だけではなく、観光客の流れもかなり新都心の方へ動いてしまったのも国際通りがかつての賑わいとは違う要因のひとつですが、あーそれにしても、今まで歴史があるだけに『沖縄三越』を惜しむ声はかなり大きなものがあります。

沖縄三越ありがとう~!!

沖縄三越が創業したのは1957年(昭和32年)8月です。開業した時には、大越百貨店という名称でした。大越百貨店として創業したときに、百貨店事業のノウハウなど協力してもらったのが、沖縄出身で三越重役だった方に依頼して百貨店事業の協力を仰いだことから、ゆるやかな感じで大越百貨店は三越と提携関係が大越百貨店開業した当時かおらありました。

大越百貨店から沖縄三越と名称を変えたのは、1970年(昭和45年)4月に三越と資本業務提携で合意したことで、三越が外資導入免許制を取得後、25パーセント出資したことで『沖縄三越』に商号変更となり、三越と大越百貨店が資本業務提携した百貨店となりました。

那覇の国際通りが繁栄するのと同じように、沖縄三越も国際通りのシンボルとして愛されていた存在で、那覇空港に空港売店を出店したり、JALシティコーチショップを運営したりとしていましたが、残念なことに日本経済の景気低迷から個人消費の落ち込み、そして他の商業施設との競争激化などで業績は悪化してしまっていたことと、「三越伊勢丹ホールディングス」との三越というブランド利用の契約期限が切れることから『沖縄三越』閉店が決まり、2014年(平成26年)9月21日日曜日夜に57年の歴史に幕を閉じましたが、閉店最後の日に『沖縄三越』に訪れた人は約1万8千人ともいわれて『沖縄三越』の閉店を見送りました。

国際通りのシンボルだった

沖縄本島に観光に行ったときには、必ずといっても良いほど定番中の定番の観光ルートのひとつが国際通りです。その国際通りにある百貨店といえば沖縄三越。お土産物を買うときにブラブラしながら物色するのが楽しくて・・。そして沖縄三越のデパ地下も、食料品売り場ですが値段はとっても優しくて、デパート価格じゃないところもこれまた魅力でした~。沖縄へ旅行に行ったときに、沖縄三越のデパ地下でどんな物がこっちの惣菜で売ってるのかな。とブラブラみるのも、何気に楽しみのひとつだっただけに閉店したのが残念であります。

沖縄の人たちにとっては、もっとスペシャルな感情があったと思います。沖縄物産展が何よりも楽しみだった。という方もかなりいらっしゃると思います。沖縄にいながら北海道の名産品を食べれるのも、沖縄三越で物産展を開催していればこそのお楽しみです。スーパーマーケットなどで行われる駅弁フェアーだと、駅弁オンリーになってしまいますが物産展はスィーツもあれば弁当もあるという具合に、その土地自慢の食べ物があれやこれやと出店しているので、ふらふらーーと見ているだけでもかなり楽しいものです。

毎回『沖縄三越』の物産展を何よりも楽しみにしていたのに・・という方、おそらくかなり大勢の方が残念に思っていると思いますね。

そしてデパートは特別感があるところです。デパートの上にある屋上遊園地で遊んだのが子どもの頃の思い出があったり、デパートのお好み食堂というかデパートのレストランが、三越で買い物した時に立ち寄った思い出だったりします。特別な物を買うとき、なにかの記念日といった時に買い物したのは沖縄三越だったという方もいらっしゃるでしょう。

独自の水色に白いリボンといえば、ティファニーですが、沖縄三越にティファニーが1991年(平成3年)から直営店として沖縄三越に入っていましたが、沖縄三越の閉店より前の2007年(平成19年)なので、ティファニーが閉店になることを知ったときも、これまたかなりガックリと肩を落としました。婚約指輪はティファニーでという女性が多くいますし、なにかがんばったご褒美にちょっとしたものを買いたいという人や、今は買えないけどティファニーのこれを買おうと思ってがんばったりなど、ティファニーブルーの包装紙には色々な夢が詰まっています。

クリスマスの時期には、テイファニーブルーの包装紙にリボンの贈り物を買うために、テイファニーを訪れるゲストが沢山いました。クリスマスプレゼントは、毎回ティファニーで選ぶというカップルだったいたことでしょう。アクセサリーを買う目的以外にも、ティファニーの店舗は国際通りに面していたので、国際通りにティファニーの前を待ち合わせ場所として利用していた方もいたと思います。

なにか記念の物をティファニーで買うのを楽しみにしていた地元の方からすると、こちらの閉店をとても残念がっています。新都心にあるDFSギャレリアの店舗の中にもティファニーの店舗はありますが、あちらは免税扱いなので地元の方が購入することは無理なこともあって、余計に残念な思いをされている方も多くいらっしゃいます。プレゼントとして渡すのに、間違いなく喜ばれるティファニーブルーの包装紙はもらいたいプレゼントの包装紙でもあっただけに、閉店を惜しむ声はかなりあがりました。

国際通りのシンボルでもあった沖縄三越は、太平洋戦争で焼け野原になっていたとおりが、見事なまでにそしてかなりのスピードで発展したこともあって【奇跡の1マイル】と国際通りの長さがほぼ1マイルということもあって呼ばれたほどです。那覇市の中でも最大の繁華街で、賑やかな通りということもあって国際通りが奇跡の1マイルと言われるほどの発展した通りの中で、沖縄三越はまさに国際通りのシンボルだっただけに、57年の歴史に幕を閉じたことは沖縄の新都市の目覚しい発展を見て人の動きもかなり変わった流れからみると、これも時代の流れなのか・・と仕方ないな。と思う気持ちもありますが、それでもやはり残念な気持ちのほうが大きく感じます。

57年間の沖縄三越の歩んできた道には、三越マークの背負う高級ブランドもあり、そして那覇市の中で一番賑わう繁華街としての億歳どおりのシンボルでもありました。百貨店のスペシャル感も昭和時代には素晴らしいものがありましたが、最近では全国的に見ても百貨店が苦戦しています。だからこそ、百貨店そのものが活路を見出すために、デパート再編も行われています。

沖縄だけではなく、地方では郊外型に大型ショッピングセンターがあり大型ショッピングセンターの駐車場なら、駐車料金も無料で品揃えも大型だからこそ子供向けのモノから若い人たち向けのアパレルのテナントも入り、そして食料品に関しても豊富な品揃えなので、何もデパートにわざわざ行かなくても、ショッピングセンターの方に客足が流れてしまうのも仕方ない気もします。

2007年(平成19年)には松坂屋ホールディングスと大丸が経営統合して、関西では阪急百貨店と阪神百貨店が経営統合しました。そして2008年(平成20年)には三越と伊勢丹が一緒になって三越伊勢丹ホールディングスになりました。それぞれの百貨店の収益力が高かったら、何も経営統合する必要などありません。そもそもマーケットそのものが縮小してしまっているという事態になっているのが、現在の百貨店を取り巻く環境になっています。

バブルの崩壊で不良債権処理で、かなりの時間経っても日本経済は上向きに行くこともなく、ようやく低迷期を脱した様子を感じた時にリーマンショックで、またまた景気は低迷。そしてこれからは、さらに超高齢化社会もまったなしで迫っているだけに、百貨店そのもののあり方も問われていると思います。

かつてはお中元やお歳暮の品物を贈るときには、百貨店の包装紙で送らないといけない。というような感じがありましたが、今ではそんなこともなく、お中元やお歳暮そのものを贈ることすらしない人も多くなっています。仕事関係がらみでは百貨店を利用するけれど、プライベートでは特に贈らないという人もいれば、お中元やお歳暮を贈る時にご当地グルメを注文するケースも多くなっています。百貨店の包装紙じゃないと…という意義が必要なくなってきている時代というのもあります。

沖縄三越の閉店セールには大勢のお客さんが詰め掛けて、連日大盛況でした。こんなにお客様が集まっているなら、閉店しなくても大丈夫ではないのかな。という思いも感じるほどの大盛況ぶりでした。閉店セールの第2弾の時には、大人気の北海道物産展も開催されていたので、どこの土地でも北海道物産展は大人気の催事なので、閉店セールもあってそして北海道物産展もあればものすごい混雑が予想されますが、実際にかなり大勢のお客様が沖縄三越に来店しました。

国際通りのシンボルでもなる沖縄三越がなくなってしまうのは、とても残念なことではありますがマーケットそのものの縮小もありますが、国際通りに別の大型ディスカウント店も出店したりと、かなりの苦戦が強いられていただけに、三越マークのランドマークが消えてしまうのは大変残念ですが、今まで57年間国際通りのシンボルとして、そして親子代々で何かしらの思い出深いデパートとして、57年間ありががとう!と沖縄三越に感謝の気持ちを伝える人たちが最終日に詰めかけていたので、本当に地元に密着した愛されたデパートでありそして沖縄を代表する百貨店でもありました。